私のケム史・マンドリンの縁
1957年卒 佐々木勝夫

私がマンドリンと出会ったのは、今から57年前、昭和25年慶応高校に入学、慶応高校マンドリンクラブ創立部員となった時です。入学以前にラジオで聴いて記憶していた心地よいマンドリンの響きと壁に貼られた《マンドリンクラブ部員募集・初心者懇切に指導します》とのポスターがマッチした次第です。今まで見たこともなかったマンドリンは、ピカピカと光っていて重そうに見えましたが、持たされてみてその軽さに意外を感じたのが第一印象でした。とにかく中古の鈴木マンドリンを買って、大学生の手ほどきを受け見様見真似で始めたのですが、「手首で弾くんだよ」とか「トレモロは手を洗った時に水を切る要領だよ」とか、今にしてみれば、あまり適切な指導もなく生来の不器用が重なって、なかなか上達せずに悩みながら、それでも何とかうまく弾けるようになりたいものと自分なりに努力を続けていました。

そうした頃、昭和27年の秋、大学の練習に参加させてもらうことになり、三田で初めてお会いした大学4年・コンマスの大野智久さん(S28年卒)のスッペの詩人と農夫のアレグロ・ヴィバーチェを快速で軽々と弾きこなす素晴らしい演奏に触れ、たいへん驚きました。伺ってみると、比留間絹子先生に手ほどきを受けられた由で、「もしよかったら聴きに行ってみないか」と手渡されたのが11月30日開催、讀賣ホールの比留間絹子門下生・発表演奏会の招待状でした。今までマンドリンの重音式無伴奏独奏など聴いたこともなく、竹内郁子さんをはじめ門下生達の素晴らしい演奏もさることながら、番外の比留間絹子先生のカラーチェの第五前奏曲を聴くに及んでは、これはもう感激、感動の至りでした。一も二も無く、この先生に習おうと決めてみたものの、この頃の先生は余程確かな紹介がないと男子の弟子は取らないということでした。が、運良く母が親しくお付き合いをしていた早稲田の文学部教授・本間久夫夫人が長唄の関係で比留間先生と親しく、お宅にもよく遊びに見えるということが判り、早速ご紹介をいただき、入門を許された次第でした。比留間先生は8歳から邦楽にも親しみ、杵屋栄美恵門下の長唄の名手でもありました。

かくして厳しくも且つ適切なご指導を頂き、今までの悩みは目から鱗が取れたようで、急速に上達をしていくことになりますが、後々昭和29年の難関(三田の3、4年生が居らず、私たち2年生が最上級生としてKMCを支えねばならなかった事態)を3期連続コンマスとして何とか乗り切り、これを繁栄のバネとすることが出来たのは、先輩同輩諸兄の御指導、御鞭撻はもとより、私としては比留間先生のご指導の賜物と深く感謝をしています。このご縁に関わる思い出は沢山ありますが、NHKの器楽部門新人オーディションに合格させていただき、ラジオ放送に出演したこと、S29年6月開催の精華学園(比留間先生の母校)大講堂建設資金募集の演奏会でアンサンブルの一員として、かの大音楽家斉藤秀雄先生の指揮を受けた事(曲目は斉藤秀雄編曲・ムニエルのト長調・第一司伴曲)は掛替えのない思い出です。

若き日の斉藤秀雄先生は、チェロを学ばれる傍ら、暁星中学でマンドリンアンサンブル・エトワールを結成され、往時のマンドリン合奏コンクールで我がKMC、同志社等に伍して指揮者として大活躍されており、この時期比留間賢八門下生として相当マンドリン音楽も研究され、また同じチェリストとして比留間賢八先生とは可なりな親交があったということです。休憩時間には「いま慶応はどうしてるの?」などと親しく声をかけていただきましたが、その時は斉藤秀雄先生がそんなに偉い人だとはつゆ知らず、思えば猫に小判状態でありました。その後KMCにおける比留間の音流はS34卒山口寛君、大西一郎君(故人)、S35卒小山勲君、S36卒高山津図武君に流れ、片岡道子、越智敬門下からは孫弟子としてH4卒染谷光一郎君、H9卒桜井至誠君、H15卒望月豪君など名手が多く輩出して大活躍していることは、泉下の比留間先生もさぞかしお喜びのことと思っています。

服部正先生、姉弟子・竹内郁子嬢と新郎新婦、同期生(朝倉修、上野隆司、藤田博、土屋俊次の諸君)の合奏(曲目は荒城の月幻想曲)
比留間絹子先生に祝奏を戴く
(曲目はムニエルの愛の唄)

昭和27,8年ころの日本は、戦後の混乱を脱して急速に回復発展を遂げつつあったとはいえ、まだまだ厳しい部分が多く残っていて、一般にはそれこそマンドリンどころでは無かったのが実情で、KMCにおいても部員がなかなか集まらず昭和29年のような状況は時代として致し方なかった事と思っています。当時はOB、大学生、高校生が一体となっていて、合宿にも多くのOBが参加して下さり、かなりの年代層が縦にしっかり、親しく繋がっていて、大変楽しい雰囲気のものでした。下の古ぼけた写真は昭和34年5月、服部正先生ご夫妻の媒酌を戴き、比留間同門であった和子との結婚披露のものですが、司会を務めて戴いた本澤忠男先輩(S27卒)のご配慮で、当時としては型破りの愉快なマンドリン披露宴となりました。OBになりたての山口寛君をはじめ大勢後輩諸君が祝いに来てくれました。往時のエピソード的情景として、いささか照れを感じますが掲載いたします。

祝ってくれた後輩諸君(敬称略)
S34:山口寛、大西一郎 
S35:小山勲、上田正名
S36:原田久、岩本晴治、小松純、荻原正弘、長内栄一、斉木茂治、沢井廣喜、菅沼晴夫、高山津図武、津々楽佳訓
S37:村山英男、武田光博

比留間絹子先生は、平成14年12月7日享年87歳で惜しくも逝去されました。来年は7回忌を迎えます。マンドリンのご縁をもって、お陰様で私ども夫婦も再来年は金婚式を迎えます。時は去り時代が変わって、我がKMCは、いま小穴雄一君、久保光司君をはじめ才能ある諸君が立派に支えてくださることを誠に頼もしく感じています。3年後の創立100周年ステージには何とか元気に末席を汚したいものと念じている次第です。慶応義塾も来年は150周年を迎えますが、我が故郷KMCの益々充実した発展を願って稿を終わります。