なぜマンドリンをやるか?
56年卒業 小穴 雄一

マンドリンに憑かれてから、もう久しい。なぜ、マンドリンに憑かれるのか?それは、はじめて合奏に参加したときの喜び。服部先生の指揮ではじめて演奏したときの衝撃。この2つに尽きる気がします。はじめての合奏体験はもちろん高校のときのこと。ぼくは高校からの入学だったので、入学式のあと日吉の坂を上がって右側の奥のグラウンドの横にある体育館に集まって、オリエンテーションに参列していました。いろいろなクラブが交互に勧誘したりしていました。そのときのぼくのお目当てはもちろん「ワグネルソサエティ」でした。もう、心に決めていたのです。

演奏はドボルザークの「新世界交響曲4楽章」とシベリウスの「フィンランディア」でした。それは素晴らしい演奏で、「よし、ぼくもここに入って音楽をいっぱいやろう!」そう誓ったのです。そのあとでマンドリンクラブが登場しました。曲名ははっきり覚えていませんが、なんとなくラテンのナンバーだったと思います。「マラゲーニャ」と「イスパニアカーニ」あたりだったのではないでしょうか?「へぇ、こんなのあるんだ?」印象はそれだけでした。まっさきに「ワグネル」の練習場に飛んでいきました。一番やりたかったのは「オーボエ」。ところが「君、楽器高いよ。100万くらいは最低でもするよ。君、楽器持っているの?用意できるの?」

さすがに高いなぁ、そんなの無理だろうなぁ、とこれはあきらめて、中学のときはブラバンで、ぼくは主席奏者だったので、「よし、こうなったらホルンにでも行ってみよう」と勇んで先輩を訪ねると「君ねぇ、少しくらいトランペットをやっていたからって、ホルンが吹けると思ったら大間違いだ!経験がなけりゃ、舞台には乗れないかもね!」がーん!これには参りました。そうか、舞台に乗れないのならつまらないなぁ。「どこのパートならば舞台に乗れますか?」と聴いたら、「そうだなぁ、打楽器にでも声をかけてみなたら?」なんだか、態度が大きくて高圧的で、敷居が高くて、すっかり消沈していました。寒い天井の高い高校の廊下をとぼとぼと歩いていくと、がちゃがちゃとにぎやかな声や音が耳に入ってきました。それがマンクラでした。

「そうか!マンドリンクラブっていうのもあったなぁ!ちょっと覗いてみようか?ギターなら家にもあったし、音楽はやりたいからなぁ」そんなふうに思いながら、教室に入っていくと、「これ弾いてごらんよ」と優しい声をかけられました。記憶では森先輩だったと思います。「いい素質してるねぇ」「筋がいいよ!」「うん、いい、いい!」こんなふうに言われると嘘でもうれしくなりました。なんだか、温かくて居心地がよかった。「今日は楽器家に持って帰ってもいいよ」それで、楽器を返しにいったら、同じようなことになっている人が集まっていました。全員初心者。外部から来たぼくは、すこし寂しかったので、なんだかうれしくなって、気がついたら入部していました。

新人はマンドリン系全員一旦セカンドマンドリンパートに配属になるというシステムになっていました。そこで、ダウンアップやトレモロの練習をしながら、地道な稽古がはじまりました。唯一の楽しみは土曜日に女子高生が来ることで、殺伐とした塾高にあっては、なんだか一気に花が咲いたようで心が躍るようでした。それでもセカンドのパートはお経のようで、さっぱりわけがわからないものでした。そんな中、ついに初合奏のときがやってきたのです。曲はマチョッキ作曲「ミレーナ」でした。ファーストとマンドラパートにはさまれて、左右からお兄さんやお姉さんの音が飛び交っていました。わぁー、なんて素晴らしいんだろう!ブラスバンドのときとも違って、こんなふうになるんだ!と感激していました。

練習が終わると「今日は自由が丘に寄りましょう」とトップの北村さんが宣言されて、それがはじめて経験する喫茶店でのパート会だったのであります。ぼくは小遣いがなかったので、支払いはどうしよう?とびくびくしていましたが、そのときどうしたかはまったく覚えていません。北村さんのおごりだったのかもしれません。服部先生の初合奏体験はおそらくオールKMCの練習に来られたときだと思います。「アルジェリアのイタリア女」「マンドリニストの群れ」このあたりだったと思います。分厚い眼鏡をかけて、なんだかにこにこというよりはにやにやと笑っているのか怒っているのか区別がつかないような、独特な風貌で、ただ、なんともいえない妖気というか、ただならぬ空気で教室は一杯になっていて、先生が棒を振りおろしたら、なにも言わないのにまったく違う音が鳴っていてびっくりしたのを覚えています。

その後、「ぶん(正確には「ぼん」に近い)ちゃっ、ちゃ」とかなんとか言われて、もう、眼からうろこの連続というか、いちいち言うことが楽しく、おそらく不謹慎なことだったと思うのですが、なんだかずっと笑っていたようにしか思い出されません。「これはたまらない、やめられない」そう確信した瞬間でした。あぁ、今日は40代最後の日。ずいぶん時間がたったものですが、マンドリンに魅せられて、その奥の深いこと、やっても、やってもやめられません。ここまで、と、そこまでいくと、その先にさらに道が拓けて、もう、きりがありません。永遠に続く放浪の旅を続けているようなものです。しかし、旅は道連れ。一緒に集う仲間がいて、それが最近はつくづくありがたいことだと思うようになりました。集う仲間がいるから、やるんですね。合奏は集まらないとできないもの。合奏することにおいては、集まるということは鉄則だと思います。いい合奏団は集まるんだと思います。

いま、レディースマンドリンアンサンブル(LMC)という、慶應の歴代の女子高(大学?)の卒業生が集まって結成したオーケストラで棒を振らせていただいていますが、この団体はみなさんよく集まります!練習に行くとほとんどいつも全員居るんですね。これは素晴らしいことだと思います。だから合奏が楽しいです。みんなが居るから。天気や気候によって音の鳴り方が違う。そこまで微妙な音作りに精進できます。料理を作るように合奏します。楽譜はさながらレシピのようなものです。レシピがあれば美味い味がでるとは限らない。だから音楽は楽しいに違いありません。一時は大味になっていましたが、最近は気のせいか繊細になってきたように思います。

ワインが熟成するように、オーケストラも熟していきます。こくがまして深い味わいになっていく。そういう時間という係数も関わって、音楽が高まっていきます、そういう瞬間はかけがえのないものに違いありません。高校のころに出会ったクラブ。それとまったく同じような会話で満たされる時間。マンドリンがやめられないわけのひとつはここにあります。さて、マンドリンをやめられない、もうひとつの訳はなんでしょう?それは、ここにしかないという感覚だと思います。マンドリンは世の中に楽譜がありません。なぜそうなのか、ということについてはいろいろな議論があるかもしれませんが、たとえば銀座のヤマハに行っても、マンドリンの合奏の楽譜は売っていません。ずっと昔から思っていたことですが、たとえば吹奏楽だと山のように楽譜があります。オリジナルもいい曲が沢山出版されています。(ここでいい曲というのは、和声やリズムが斬新なもの)合唱の世界でも素敵な曲がたくさんあります。でも、マンドリンにはそういうものがありません。だから、やりたいものは作らなければならないっていうことになります。でも、もし作ってやったとしたら、それはここにしかないものになる。それはオリジナリティっていうことにも通じることなのかもしれません。

どうやら、ぼくはこれにすっかり憑かれてしまったのかもしれません。一度だけ服部先生に編曲をみていただいたことがあります。高校3年生のときに、ギターの浅野晃一くんと合作した「花祭り」というフォルクローレの曲。そのときの先生のアドバイスは「たいてい楽器は五線紙の上側でメロディを書くようにしなさい。そうすれば、誰が弾いてもちゃんと聴こえるでしょう。」これが唯一、じきじきにご指導いただいたコメントで、いまでもアレンジするときに、ずっと流れている言葉です。服部先生のアレンジで弾いてきて、どこか身に染み付いたものがあるように感じています。まともな音楽の勉強はしたことがありませんので、法則や語法には限りがあるのは間違いありません。というわけで勘と度胸だけでやっています。

もう随分前になりましたが、荻原さんと高山さんとご一緒に服部先生の楽譜の整理をさせていただいたことがありました。おびただしい数の実筆譜をオーケストラ作曲、編曲、歌の伴奏譜というふうにジャンル別に整理しました。すると、びっくりしたことがあります。それは、同じ曲の楽譜がいくつも出てきたのです。「金と銀」は3つくらいあったと思います。あとで先生に尋ねてみると「探すより書いたほうが早いから」とのことでした。おどろいたことに、内容はあたかも書き写したかのようにそっくりだったこと。あたりまえのことかもしれませんが、先生の音楽は先生のあたまのなかにあってただそれを書き写しただけのことだったんです。最近は世の中は便利になって、編曲もPCでやります。MIDIという音源を搭載するれば、総譜の各段に楽器をアサインして鳴らしてみることもできます。総譜からは自動的にパート譜を作成することもできます。ほんとうに便利になりました。

しかし、先生のころはすべて手書き、しかも、万年筆が主流(スコアは鉛筆が多かったように思います。)ということは一気に書くっていうことで、これにも凄いことだなぁと感心するばかりです。先生の筆跡はKMCの部員なら誰でも知っています。いまでも先生が書いた楽譜のコピーは部室にしまってあるはずです。お玉じゃくしが大きく、五線紙3段くらいにはまたがっていることもあります。「どこの音だろう?」と思うことがあるくらいです!しかし、その楽譜には独特な風合いがあって、先生の音が聞こえてくるようです。最近は、命の続く限り、といったら大げさでしょうが、まぁ、集う仲間が続く限りは、音楽に興じていたいと願うようになりました。