バンドリン、これはブラジルの民衆音楽ショーロの花形メロディー楽器です。リズミカルなテンポに乗って、なんともいえない高音の澄み切った、しかし切ない音色で美しい郷愁に満ちたメロディーを奏でる楽器なのです。Bandolimはポルトガル語におけるMandolinのことで、いわゆるナポリ風マンドリンもポルトガルやブラジルではバンドリンと呼ばれます。バックはラウンドではなくフラットのマンドリンです。調弦は当然のことながらマンドリンと同じで、上からE、A、D、G,の4複弦です。
形はアメリカの初期の頃のA型フラット・マンドリンそっくりで、そのことからブラジルのバンドリンはアメリカから来たのではないかという説があります。しかしポルトガルギターとも姿形、大きさがそっくりで、ブラジルは南米唯一のポルトガルの殖民地であったわけですから、常識的にはブラジルのバンドリンはポルトガルから渡ってきたと考えるのが普通です。しかし現在ポルトガルではラウンドバックのマンドリンを含めてバンドリンを見ることはありません。
私が初めてバンドリンの音を聴いたのは、43年前26歳のときにロンドン留学中に手に入れたSPレコードで、バンドリン独奏JACOBとあり、ワルツとショーロという4拍子のリズムの軽快な曲でした。私はその音色の美しさにすっかり魅せられてしまいました。これはマンドリンの音に似ているけれどどんな楽器なのだろうと見当も付きませんでした。その後これはブラジルのマンドリン系の楽器であることが分かり、ショーロというポピュラー音楽の分野でのジャコー・ド・バンドリンという名手のCDを手に入れましたが、彼こそ世界にショーロという音楽を知らしめた天才だったのです。
一方、同じ26歳の年に休暇でロンドンからリスボンに行き、ポルトガル民衆音楽のファドを聴きました。そこで初めてポルトガルギターに出会いましたが、これがまた何とも言えない郷愁をそそる音色で私の心を震えさせました。ファド歌手の伴奏で間奏のメロディーをヴィオーラ(普通のスペインギターのことで、ポルトガルではこう呼ぶ。)と共に弾くのですが、音を聴くだけでやるせない気持ちになります。ポルトガルギターのインストゥルメンタル演奏のLPレコードを聴いて分かったのですが、この節回し、テンポ・ルバートの感じそのものをジャコーはバンドリンで演奏しているのです。ショーロというのはポルトガル語のショロン(泣く)から来ていると言われており、つまり泣き節です。ファドの真髄はサウダーデ、つまり郷愁の心、孤愁とも言われます。共にやるせない想いに涙する音楽なのです。それを演奏するブラジル・バンドリンのルーツは間違いなくポルトガルにあるはずだと信じた私は、色々とポルトガル・ギターの文献を調べた結果、ついに1本だけ1903年製のポルトガル・バンドリンの写真を見つけたのです。姿かたちはポルトガル・ギターそっくりなので危うく見落とすところでした。
恐らく今ではもう作られていない幻のバンドリンの発見でした。そしてその発見に至る経緯をマンドリン連盟の機関紙に「サウダーデ!幻のバンドリン」として書きました。
「荻原さん、機関誌に載っていた幻のバンドリン、インターネットで売りに出ていますよ!」。友人からの連絡で、ロンドンにいる売り手からの添付写真付きメ-ルを送ってもらい開けてみてビックリ仰天しました。写真で発見した名工アウグスト・ヴィエイラのバンドリンと瓜二つなのです。これはもう金にいとまをつけず私が手に入れる以外に無いとすぐに注文を出し、このヴィンテージ・ポルトガル・マンドリンとして売り出されていたバンドリン・ポルトゥゲーサは我が手に入ることになったというわけです。
昨年の10月に到着したこのバンドリンはあけてビックリ、頭部がまさにポルトガルギターとそっくりなのです。ヘッドはカタツムリ型、調弦の糸巻きはきれいな扇型です。
最近バンドリン製作を始められたマンドリン作りの嶋田茂氏にお見せしたところ、これは珍しいと大変に興味を持たれ、磨り減っていたフレットを全部取り替えてくれました。音は小さいがとても伸びのある甘く優しい音色で、これはいけるぞとこの麗しのバンドリンにより、12月初めに行なわれたディナー・コンサートで、早速にショーロとワルツを披露しました。優美な音色と見事なつくりのこの楽器に、観客は興味津々でした。
この楽器を持っておられたのは、ロンドン在住のバロックギター奏者竹内太郎氏でした。竹内氏はバロックギターにつながる古楽器の大収集家で、大陸ではシストレと呼ばれ、英国ではシターンまたは通称イングリッシュ・ギターと呼ばれていた楽器も演奏されるので、このやや小型の楽器の収集も片っ端から購入されたようです。その中に小型で姿形の似ているこのポルトガル・バンドリンを1本だけ手に入れられたとのことです。
いずれにしてもイングリッシュ・ギターがポルトガルに渡り大流行したため、いつの間にかポルトガル・ギターと呼ばれるようになり、ヘッドも扇型に改良されたのです。それと同じスタイルで作られたフラットバックのマンドリンがポルトガル・バンドリンなのでした。ショーロの世界の花形バンドリンの原型はやはりポルトガルにありました。
このたび手に入れたポルトガル・バンドリンは、恐らく日本中のどこにも無いものでしょうし、現在ではポルトガルでも需要がなく全く作られていないとしたら、まさに幻のバンドリンが私の追っかけの執念により、再びこの世に顔を出してくれたとしか言いようがないのです。